疎外感
俳優、堺雅人の発言
「僕自身はどこへ行っても、少しずつ疎外感を味わいながらというスタンスでいいのではないかと。自分の確固たる居場所なんて、別にいらないですから。俳優としてのイメージも、向いている向いていないも、自分で決めるのはおこがましい気がしていて、それはなるべく自己判断しないようにしています。僕の仕事をクロニクル的に読み取って、さまざまなイメージを周りが抱いてくれるのはありがたいです。でもそれは自分がやってきたことへのボーナスと言うか、副産物だと思っていますよ」(キネマ旬報11月下旬号23頁)
僕は正直、この人をよく知らない。でもこの発言にはすごい共感ができた。全部インタビューを読んでみて、凄く頭のいい人だと思った。
どこかに、何かにぴったりとおさまることが好きじゃない。常に疎外感を味わっていたい。小学校にも中学校にも高校にも大学でも疎外感を味わってきた。司法修習にも、裁判所にも、検察庁にも、弁護士会にも、大学にも。名古屋にも、東京にも、勿論、ニューヨークにも。
具体的には言いたくないけど、いつも、なじめないというか、多数派に溶け込めないというか、どこか違う場所が、違う何かがあるのではないかと思い、探してきた気がする
「確固たる居場所なんていらない」
そのとおりですね。僕の場合、確固たるというのは、固まる、固定しちゃうという連想になります。たとえば、安定した生活というのも、停滞した、発展がないという風に思ってしまう
確固たる居場所といのは、僕にとっては、既得権がある場所、自分の今ではなくて、過去とか、名声で評価されてしまう、つまらない場所という意味です。
常に流動していたい
「向いている、向いていないも、自分で決めるのはおこがましい」
僕も同意見です。弁護士も、大学の先生も、人権活動も、論文を書くのも、全部好きで、やり続けたい。全部向いていない、才能ないかもしれないけどそんなの関係ないですね。
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投稿: ym | 2008年12月 5日 (金) 00時20分